第22回レーベル病患者の会 議事録

開催日時:2019年11月10日(日曜日) 13時00分~17時00分
場所:東京ボランティア・市民活動センターA会議室

【出席者】
患者本人23名・患者家族27名・ボランティア4名・薬卸業者1名

≪内容≫
【視覚障害リハビリテーション研究大会・盛岡大会ポスター発表の報告】
参加者は医師よりも支援者等が多い。
患者会としては、今回のテーマは就学に関する実態調査ということで、
今年もアンケートお願いし回答対象を家族のみとし、13名の方から
回答をいただいた。
本人の性別全て男性、年齢は20~25歳が多かった(半数程度)が、
発症時期は10歳~15歳が一番多かった(半数程度)。
罹患機関は5年から10年弱となっている。
視力は0.01と0.02から0.03が一番多く8割くらい、手帳の等級も
1級と2級が一番多くなっている。
就学状況は満足が多いがほとんどの方が苦労しているが何とかなっていると。
目が悪くなったから盲学校に即変わっているわけではなく、
発症前の学校を継続しているケースが多かった。
学校の対応についてもほぼ満足しているという回答が多かった。
大変満足という回答はなかった。
学校側が能動的に対応してくれることはあまりないというのが現状のよう。
こちら側から積極的に要求していかないと現状としてはなかなか対応してもらえない。
現状としては致し方ないかもしれないが、行政としてもしっかり
ガイドラインを作るなど対応してくれるよう希望するとともに、
患者会としても今後継続して情報を発信していきたいと思っている。

【本日のテーマ:「患者会メンバーの知恵と経験の共有」】
今回はゲストのない会のため、患者本人と家族それぞれが自身の
今困っていること・いままでの経験(苦労・工夫)・情報提供などを
語る機会とする。
患者本人、患者家族をそれぞれ4グループにわけ、最初に事前に
依頼された方が話し、そのあとに、各グループの参加者が話す流れとする。

【参加者の発言】
●1グループ(患者本人)
・ Aさん(男性・三重県四日市市)
現在55歳、発症は6年前。
その前に甲状腺機能亢進症で定期的に目の検査も受けていた。
あるとき両眼の矯正視力がいつもどおり1.2だったのに、
その2週間後の人間ドッグで左目の矯正視力が0.1に低下していた。
4月に兵庫医大で検査をし、6月に診断がついたがその頃には右眼の
視力もすっかり低下していた。
毎日のように新聞の活字がワンポイントずつ見えなくなっていく日々だった。
手帳の取得などをすすめた。
それまでの仕事は三重県庁での地方公務員で事務の仕事をしていた。
休職して神戸の国リハへ行き、拡大読書器の効率的使い方やiPadなど
IT機器の使い方を習い、また、レーベルは周辺視野が残っているの
で、
残っている視機能を存分に使おうという山田先生という方の
指導を受けて家でもできる眼球運動のやり方などを習った。
この病気以外の色んな眼疾患の方と出会い、もっと症状の悪い人に
出会い、自分はまだまだ頑張れると思えた。
音声PCも習得し復職した。
元の職場で書類の処理の仕事は難しいので、現場の指揮や指導をした。
復職後3年間やったがもうここでの仕事は満腹まで頑張ったと思えたので退職した。
退職後1年間は趣味的なことを含めて色々勉強をした。
北海道のNPO法人「絵本・児童文学研究センター」というところでも勉強した。
それから、地元四日市市でユニバーサルデザインの普及・啓発に取り組んでいる
NPO法人に義理あって関わり、そこの理事に就任した。
現在、ユニバーサルデザインの考え方・当事者の使いやすさなどを研究し、
学校などで講演にまわっている。
発病し、このような仕事に携わることができたのは、神の啓示かと
思っている。
ユニバーサルデザインは、基本は人が人として街の中で暮らして
いけることがテーマと思っている。
私たち自身が暮らしていくために、求められるところで充分に仕事をしたり
生活できる社会になることを望みつつ、それまでの間も今の生活を
豊かに充実させていくことが大切と考え過ごしている。

・ Bさん(男性・埼玉県朝霞市)
もうすぐ65歳。7年前の6月に右眼の視力低下に気づき、池袋の病院で
MRI・眼底検査などを行い、慈恵医大に紹介され遺伝子検査をし、
8月にレーベル病と診断された。
その頃はまだ見えていたが、11月には左眼も見えなくなってきて、
0.04くらいになったこと手帳を取得した。
その後ロービジョンや新宿の視力障害者訓練センターに通い
3ヶ月ほどパソコンの訓練を受けた。

・ Cさん(男性・千葉県)
発症は9年前、東日本大震災の少し前だった。
そんな中、その頃は日々視力が落ちていく中で自分のことしか考えられなかった。
今年の台風の災害のとき、他の人々の被害に思いを寄せることができ、
自分も余裕ができてきたのだと感じた。
以前は、外出すると、この中で見えないのは自分だけなのか、と
感じていたが、今は世の中には色んな事情を抱えた人がいるんだと
思えるようになってきた。
それはこの患者会が情報を発信していて、その情報をみんなで
共有できていることの影響が大きいのだと思う。

・ Dさん(男性・大阪在住の父が患者) 初参加
この夏お盆に帰省したとき、父が見えにくさを訴えていて、
お盆明けに大阪大学病院でレーベル病と診断された。
まだわからないことばかり。父の仕事は、40年以上車を運転し営業をしていたが、
運転ができなくなり、部下に運転してもらいながら仕事を続けている。
最近もまだ非常に苦労している様子だ。

・ Eさん(男性・奈良県)
16歳で発病、現在23歳。
今年就職活動にピリオドをうつことができ、来月から東京の会社
に籍を置き奈良の自宅で在宅勤務することが決まった。
まだ仕事は始まっていないのでどうなるかわからないが、これまでの
学生生活や就職活動のことはみなさんに情報提供できると思う。
今、来年の東京パラリンピックに向け、トライアスロンに挑戦している。
来年4・5月の2レースで選手になれるかが決まる。

・ Fさん(男性・東京都中央区) 初参加
先週の金曜に診断がついたところ。
もともと1年前に右眼の病気でむくみで目が見えなくなり
むくみを取るための注射を1ヶ月1回打っていた。
これからは左眼だけで生きていこうと思っていたところ、8月25日に
何か見え方がおかしいと思い、3週間かけて検査したが何も出なかった。
母方が鹿児島で何人か目の悪い人がいて、何の病気か調査してもらったところ
レーベル病かもと当たりがつき、この1ヶ月その診断に向け検査をしてきた。
毎日毎日昨日できたことが今日できないのではという不安があり、
仕事はパソコンのパーツの販売をしているが、文字を拡大して
みることでできることと、できないところがあり、苦しい思いをしている。
スマホがあるので、便利な社会でよかったとは思っている。

・ Gさん(男性・東京都世田谷区) 初参加
現在26歳。
今年の4月に見えにくさに気づき受診し、レーベルとわかったのが6月。
日々悪くなり、それに慣れていく日々である。
今のところまだ症状は安定せず、手帳の取得に至っていない。
歩行はできるが、初めていくところは駅の看板などiPadでとって拡大して見ているが、
グーグルマップで5分のところ20分くらいかかる状況で困っている。
元々住宅建築の現場監督が仕事だったのでできなくなり、
病気がわかってから休職している。
音声PCの訓練をして来年4月からの復職をめざしている。
ここ最近色んな集まりに出かけて情報を収集しているところである。


●3グループ(患者家族)
・Hさん(神奈川県葉山町)
(母より)2人息子がいて、2人とも発症した。
両方とも高校生のときで、長男が2010年9月、高2でこれから部活の
中心になっていくというときで、本人は絶対に治すという気持ちで
修学旅行も行かずに鍼治療に通い、漢方・気功・レスキュラ・ビタミン等
ありとあらゆるものは試してみた。
その後、大学・大学院に進学し、昨年春就職した。
本日午前に、高校生や大学生の若者患者の集まりがあり長男も参加した。
こういう、この患者会からスピンアウトした会もあっても良いなと思った。
次男はその2年後に発症、兄の状況を近くでみていたため、
なりたくなかっただろうが予測もついていたと思う。
どうせ何をやってもダメだというのは見てきているので、淡々とすごし今にいたっている。
不思議なもので何が良かったのかはわからないのだが、
次男はその後0.6まで視力が回復し運転免許も取れている。
長男の時には色々もがき親子で悩んで、そこを突き抜けて力がついたかと思っている。

(父より)どういうツールを使って学業を続けてきたかについて。
まずは学校の先生の協力が大きかった。
幸い長男次男ともに、先生方は親身になってくれた。
長男の場合はAO入試も先生が紹介してくれた。
友人の協力も大きかった。
教科書は、当時は教科書を裁断しスキャナーにかけて電子化しiPadにとりこんだ。
学校の定期試験や模試のときは、時間延長・拡大読書器使用・別室受験など
配慮してもらい、諦めずに挑戦してきた。
2人とも無事に就活も終えることができた。

・ Iさん(東京都・台東区)
(母より)三男が去年6月に30歳で発症した。
診断ついたのが去年の11月。
それまで留学したりボランティアでブラジルで日本語教師をしていたりして、
これから日本で定職につこうとした矢先だった。
今は四谷の就労支援センターで訓練を受けている。
口数が少ないので何をしているのかわからないが、そこで知り合った人に
ブラインドラグビーを紹介され、10月14日に熊谷でイングランド代表と試合をした。
体を動かし、色んな人とふれあって、少しずつ前を向いているように思う。
母の方がまだ気持ちがついていっていないかもしれない。

・ Jさん(富山県)
(母より)22歳の息子が患者、兵庫県の私立大学に通っている。
中三の秋から冬に発病し、レーベル病患者会から井上眼科につながり
診てもらった経過がある。
今の視力は0.02.。発症の頃はもう少しよかった。
北九州の高橋先生のロービジョン相談を受け、高校受験は何とか終わったが、
高校生活が始まり勉強でとても疲れるようになり、
冬休み中に神戸の国リハで訓練を受けた。
訓練後、勉強はだいぶしやすくなったようだが、大学受験は大変で、
一浪して今の大学に入学した。
理工学部の情報学科だが、大学で単位をとるのが大変な日々のようだ。
1人暮らしで、生活を楽しんでいるようにはみえない。
自分のことを伝えるのか苦手なようで、大学の中で生き生きと生活していくのが難しそう。
気になるが、どのように本人に言っていったらよいのかも難しい。

・ Kさん(長野県)
(母より)群馬県に1人暮らしの大学4年生の息子が発症。
今日は息子も軽い気持ちで一緒に参加した。
今卒業に向けてとりあえず頑張るのが精一杯。
就職のことはそのあとから考えることになりそう。
母ばかり焦っているが、離れているので、つめて話もできず歯がゆいばかり。
だが、長い人生なのでゆっくり考えていきたい。

・ Lさん(神奈川県横浜市) 初参加
(母より)中3の息子が発症。
遺伝子検査の結果はまだ出ていないが、4日前におそらくレーベル病だろうといわれた。
病院で、「なんとかの会」という患者会があるから自分で探すように言われ、
ここを探して参加した。
イデベノンも飲みたいなら自分で探して買うように言われた。
勉強が大好きな息子で、夏期講習も楽しかったと言っていた矢先に
こんなことになってしまった。
高校へは行かないと言っていたこともあったが、今は志望校の偏差値を
落としてでも何とか頑張って受験すると、今日も家で勉強を続けている。

・ Mさん(愛知県・名古屋市) 初参加
(父より)高1の息子が6月から見えなくなった。
今、右0.04。大学病院では血液検査結果はまだ出ていない。
こどもが学校でどうやって勉強していくのか、今検討中で、
学校は色々手伝ってくれるとは言っている。
ここへきて先輩方の話を聞いて何とかやっていけるのかなと思えてきた。
盲学校にも相談にいってみたが、拡大鏡は使いにくかった。
今通っている中村まこと先生は、無理な運動はせず安静にして
ビタミン剤などの服用を続けているといつか治ることがあるといわれた。

●4グループ(患者家族のグループ)
・ Nさん(東京都杉並区)
(母より)現在大学1年の息子が小学校6年生の夏に発症。
初めに左眼が見えなくなったことに気づき近くの眼科から大学病院に紹介され、
神経眼科の先生につながったので初めからレーベル病を疑って検査を進め
夏休み中に診断がついた。
現在は積極的治療はないということで、ビタミン剤・レスキュラ点眼
・コエンザイムQ10の服用を今まで続けてきた。
本人は中学受験を目指していて諦めたくないという気持ちを優先し、
病院のロービジョンで視覚補助具や拡大読書器の使い方を教わり、
学校や塾の先生に相談したりして、何とか少しでも勉強しやすい環境を作ってきた。
受験に関しては大学入試センター試験の要綱を調べて、都立中学の入試でも
障害のある場合の受験に関する配慮という項目を発見し、事前に学校に
相談することで拡大読書器持込・時間延長などの配慮を受けることができた。
といっても、やはり体育は見学になったりできないことがあって辛い部分もあったと思う。
中学では電車通学となるので、一番視力が悪かった時期は信号を見るのも
難しかったので春休みに単眼鏡で信号を見たり通学の練習をしたりしたが、
親が色々整えようとしても、結局人の流れについていって信号を
渡るなどこどもは自分のやりかたでやってしまっているようだった。
その年頃の難しさもあり、人と違うように見られたくないと、中学では
ほとんど単眼鏡やルーペも人前では使わずわかったふりをして
過ごすことも多くなり、学習面も生活面も落ちてくる様子がみられた。
この患者会のことは知ってはいたもののなかなか参加する機会がなかったのだが、
気持ちがすさんでいた中2のときに主治医の先生から若倉先生の本を紹介され、
そこに出ていた患者会の会長さんのストーリーを読んで、この方に
会ってみたいと思い、発症から2年後母だけで初めて参加した。
この会でいろんな大人の方や、高校生のときに発症し大学生になった方の
学校での勉強の工夫や受験を乗り越えてこられたという少し先の
経験をお伺いすることができたのが、すごくありがたかった。
まさに知恵と経験の共有をさせていただいた。
今日、遠くから初めて高校生の男の子がくるみたいと息子に話したら、
初めてこどもだけならちょっと話をしてみても良いかなと言って、
午前中何人か集まって高校生や大学生・就職したばかりの
患者同士だけの集まりをすることができた。
どんな話をしていたのかはまだわからないが、ここで母たちが色んな方々と
出会い情報収集をして息子たちにフィードバックしてきた積み重ねが、
来てみようかなという気持ちにつながったのなら嬉しい。

・ Oさん(神奈川県厚木市)
(母より)息子が大学1年の夏休みに見え方がおかしいと気づき、
大学病院を受診し、1ヵ月後には診断がついた。
情報がない中で、この患者会で色々と情報を得て、だいぶ見えにく
くなった中で一般の大学でパソコンの音声ソフトなどを使って
試験を受けたりし、今のところ単位も修得し過ごせている。
大学3年になった今年の夏は就活に向けてインターンシップにも参加した。
この会で色々な情報を得てこそだったと思う。
色んな状況の人がいるが方法は色々あり、前を向いていけたらと思う。

(本人より)今大学3年、発症してから半年でいっきに視力が落ち、
できることもできなくなった。
気持ちの整理がつかないという方もいたが、大学だと色々やってもらえることも多く、
当事者本人としては普通と同じようにできると良いと思うので、
母からの情報得ても素直に聞けないところもあるが、少しずつ
社会人に近づくと考えなきゃ受け入れなきゃと思うところはある。
この病気は全く見えなくなるということでもないし、回復する人もいる。
医療も進むと思うので、あまり悲観的にならず前を向いていけたらと思う。

・ Pさん(東京都清瀬市)
(母より)28歳の息子が昨年4月に見えづらくなり、大きな病院で
ステロイドパルスをしたが効かず、遺伝子検査をし
井上眼科受診して1ヶ月で診断がついた。
去年の7・8月は苦しい時期を過ごした。
現在息子は週3回四谷の就労センターに通っている。
家では素直になれないところもあるが、自分もゆとりをもって息子に
接するようにしたいと思い、息子が負の部分を家で出せるようにと思っている。

・ Qさん(東京都千代田区)
(母より)2年前に発症した高1の息子が都内の私立高校に通っている。
先日サイトワールドの「視覚障害教育の現状と課題」という
タイトルのシンポジウムに参加した。
パネリストの方々は、文京盲学校長・視覚障害者連合会長
・バリアフリー研究の慶應義塾大学中野教授・盲学校のPTA会長
・東大先端研の視覚障害当事者の方など。
視覚障害となってもどこの普通校に進学しても教育が受けられるには・・
というサブタイトルながら、普通校の先生は誰も来ていないという
現状に、話にならないと思った。
盲学校の先生は、生徒が減って困っているという。
現在、通学している学校の現場の先生はよくしてくださるが、
対応の交渉ごとは全て保護者にゆだねられている。
専門性の高い視覚障害者教育とは何か。
iPadと使うことか。
そういう子がいるということを現場の先生からキャッチした時点で、
公のところから現場の学校へ来て状況を確認し、アドバイスをし、
教育環境の整備をしてほしい。
盲学校の先生は、生徒がこないなら、コーディネーターとして
積極的にそういう子がいる現場に来てほしい。
スピード感をもって相談できる体制をとってほしい。
息子は発症当時は落ち込んでいたが、学校には通い続けている。
ただ、勉強は追いついていない。
発症の頃から息子とは何でも話すようにしてきた。
夏休みの宿題で、万人が使いやすいトイレというレポートを
書いたところ、コンクールで佳作をいただいた。
日々自分なりに受け止めながら、皆と一緒に生きていけたらよいなと思っている。

(父より)レーベル病のことを眼科の先生にもっと知ってほしいと思う。
息子は、イデベノン・漢方など色々やってみたが効かなかった。
最近国会図書館で、2007年に名古屋大学の先生がビタミンB2・B12と
ビタミンC内服・レスキュラの点眼を初期の頃からやっていた人が
1年後0.8→3年後1.0に回復したという事例が出ている論文を見つけた。
可能性のあるものとしてやれることがあるなら眼科の先生に
認識してもらい初期からやれると良いのかもしれない。
どこかで細胞への障害が少なくなるようにすむのかもしれない。
この会を通して眼科の先生にもこのことを知ってもらいたい。
息子が行っていた慈恵医大は、どうせ何も効かない・イデベノンも
飲みたければ勝手にどうぞという感じだった。
もう少し世の中に認知してほしいと思う。
息子は今も日によって見え方に違いがあるかもと言うことがある。
みなさんはどうなのだろうか。

・ Rさん(東京都大田区)
大学3年の息子2014年1月・中3の卒業間際に発症した。
順天堂大学病院を受診し、3日くらいでレーベルだろうといわれ
兵庫医大を紹介され、イデベノンの治験を受けた。
現在視力は0.08くらい。
大学の附属中だったので進学の受験はしていない。
ずっとiPadを使って学習し、大学に入ってからは自宅に拡大読書器を置いて勉強している。
これまで試験などはiPadを使い、時間延長・別室受験などの配慮を受けてきた。
大学入学時から公認会計士をめざして試験勉強にとりくんできて、
来週結果発表があり、現在就活中である。
簿記試験・会計士試験のために配慮のやりとりをしたが、時代なのか
どこも対応はとても良くしてもらえた。
頑張れば、今の時代は便利なものもあり、やっていけるのかなと思っている。

・ Sさん(男性・兵庫県姫路市)
(本人)現在高校2年生。
野球を練習していてボールが見えにくくなり、眼科で色々検査をして
2週間くらいでレーベル病と診断された。
今、受験を控えて勉強に困っている。

●2グループ(患者本人のグループ)
・Tさん(男性・神奈川県葉山町)
(本人)9年前、17歳、高2のときに発症。
視力は1年くらいで0.08くらいになり、色々試したがそこから最終的に0.1くらい。
通っている高校・大学に配慮してもらいながら昨春民間の機械メーカーに就職した。
就労している先輩方はたくさんおられるが、自分は障害になってからの就活だった。
0.1なので運転免許もとれず、エントリーシートを出したあと一般教養の
Webテストなどを普通の人と同じ時間で受けると点数が低くなってしまうので、
事前の相談が都度都度必要だった。
障害のある人のリクナビのようなものがあって、どういう環境があれば
仕事ができるかなどを確認しながら面談するという機会があり、良かった。

・ Uさん(男性・東京都中央区)
今年12月で発症して2年になる。
明日から四谷の職能センターでPCの勉強をする予定である。

・ Vさん(男性・東京都品川区) 初参加
元々沖縄だが、現在単身赴任で東京に来ている。
今年5月に自覚症状が出て近くの眼科から北里大学を紹介され、
レーベル病と診断がついた。
8月ごろまで左眼は見えていたが、9~10月になり両眼にきて、
現在0.04。コエンザイムのサプリメント、ビタミンB・Cを服用。
今のところ仕事を続けているので、休まず仕事を続けられるリハビリを探している。
埼玉の国リハ、四谷、若松河田、明大前を検討し、明大前では
在職訓練ができるのでそこがよいかなと思っているところ。
ただし、通うには手帳が必要なので、今3級の申請中。
ものの先端が見えにくかったり、コンタクトレンズの水がどれくらいあるか
わかりにくかったり、駅の看板が見えにくかったり、色々生活の困りごとはある。
立ち止まって看板をスマホ撮影して拡大してみていると、周りの人に何なの?と
思われていると感じるので、白杖は早めに必要かと思っている。
しかし、白杖を持っても後ろの人からはわかりにくいので、
視覚障害とわかる帽子のようなものがあればいいのにと思っている。
パソコンを使うので、ジョーズかPCトーカーと導入しようと検討中である。

・ Wさん(男性・東京都町田市)
現在64歳。1991年に発症。
0.01から指数弁。
昭和大学病院で視神経炎といわれステロイドパルスをやったが、
ステロイドの減量中に視力低下が両眼にきた。
慶應大学病院・順天堂大学病院などを受診し、ビタミン剤・アヴァン
・レスキュラ点眼(緑内障もあった)などやったが、かわりなかった。
生活上現在はあまり困っていない。
場所の認知については、積極的に人に声をかけて聞くことを当たり前としている。
歩行は白杖を使い確認しながらやっていて、今は健常者と同じスピードで歩いている。
食事は妻がやってくれているので、困ることはない。
町田市でも音声で認知できるところがもっと増えてくれたらよいなとは思う。

・ Xさん(男性・神奈川県横浜市)
5年ぶり2回目の参加。
現在35歳。
バイクに乗っていて、目に髪の毛のようなものがついたような感じとなり、
神奈川の大学病院で視神経炎といわれたのち、井上眼科を紹介され
レーベル病と診断された。
視力は2ヶ月で1.5から0.1になった。
ロービジョン外来、国リハで訓練を受け、職リハの理療科も見学し、
人と接することが好きなので、神奈川県盲学校の理療科へ進み今年卒業し、
現在は筑波大学附属盲学校の教員養成施設に通っている。

・ Yさん(男性・神奈川県相模原市)
発症は1年半くらい前、35歳。これまで高齢者介護の仕事をしてきた。
受け入れるまでたいへんなことたくさんあったが、振り返る時間が増えて、
今まで仕事で関わってきた高齢者の方々を振り返ったときに、
まだ人のために自分ができることはありそうだと思えた。
高齢で1人で歩けない人は車椅子に乗る、認知症の人は声かけなど
サポートを受けならが生活ができている。
「よきにはからえ」とは認知症の人から何度も言われた言葉である。
できないことは人の力を借りながら、自分でできることをやっていけば
よいのじゃないかと、自分らしく生きる第2ステージが見えてきた感じがしている。

・ Zさん(男性・東京都) 初参加
レーベル病になったのは、12年前・16歳のとき。
それまではテニスをしていた。
高校もスポーツ推薦で入ったので、発病したときは何のために高校に入ったのかと悩んだ。
弟が先にレーベル病になっていたので、何となくこれかというのはあった。
中村眼科ですぐ診断を受け、激しい運動をするなといわれたが、
今しかできないと思いテニスは続けてインターハイまでいけた。
テニスをやらなければもっと良くなっていたのはわからないが、
そこまでやれて満足したので、高2から盲学校へ転入した。
陸上なら見えなくても走れるかと思い、弟と一緒に陸上を始め、
今も続けている。
2020年のパラリンピックに兄弟で参加することが目標である。
レーベルは母方の病気で、見ていないところで母が泣いているのを見たりした。
スポーツでできるところをしっかりアピールしていきたいと思っている。
兄弟とも就職できたので、兄弟で母の還暦にヨーロッパ旅行をプレゼントした。
これからもっと頑張っていきたい。

・AAさん(女性・静岡県) 初参加
発症して1年ちょっとになる。
女性では珍しいといわれ、受け入れられず自殺未遂をしたこともあった。
いろんな人の話を聞きたくて参加してみた。

・ ABさん(神奈川県横浜市)
今回2回目の参加。
42歳で、去年8月に見えにくくなってきて、近くの眼科から
北里大学に紹介され去年10月レーベルと診断された。
今もまだ受け入れられず、ようやく少し外に出られるようになってきた。
拡大読書器を使って文章を読んだりするようになり、前を向いて
がんばっていこうと思っている。

・ ACさん(神奈川県横浜市) 初参加
(妻より)夫が2年4ヶ月前67歳で発症し、現在70歳。
手帳は1級をもらっている。
車に乗っていて目の中にクモやタコが見えると言い出し、白内障の
手術後の影響かと思ったが違ったようで、脳神経外科を紹介された後、
井上眼科で診断を受けた。
周りに絵のようなものが見えると言い、家の近くなら歩けるが、
たくさんの子どもが見えてどれが本物かわからないという。
わらをもつかむ思いで鍼灸はどうかと思っていたが、今みなさんの
話をきいて効果はないのかと思った。
とにかく外に出てほしいと思い音声PCの訓練など誘っているが、
今のところまだ本人のやる気がない。

・ ADさん(女性・栃木県)
現在43歳。
女性では珍しいレーベルと、12年前診断された。
地元の眼科で視神経炎といわれたが良くならず、友人が井上眼科を
見つけてくれて、それから検査をして診断がついた。
レーベル以外にも神経難病を患っていて、障害者手帳は1級。
進行性なのでこれから働くことは難しい。
2人の子は自立して、いつも一緒にきてくれる娘は臨床検査技師として病院に勤めている。
娘の発症は心配だが、これから良くなっていくだろう未来を願いたい。
井上眼科でとてもお世話になった荒川さんたちに少しでも恩返しがしたいと
思い参加している。

・ AEさん(茨城県)
3年前に息子が発症した。
パソコンの専門学校に通ってすぐに発症し退学となってしまった。
落ち込む日々が続いていたが、去年の7月から国リハに行き始め、
去年12月から職リハに進みPCの勉強をしながら就活しているところである。

・ AFさん(薬卸業者)
外務省・厚労省で20年ほど医療協力をし、ワクチン事業をする中で、
兵庫医大の治験にイデベノンを納めることをしてきたつながりで、
イデベノンの個人輸入をお手伝いしたりしている。
それまで全くレーベル病のことは知らなかった。
以前は1錠30mgの方が安定的に納められるので1回10錠くらい
のまなければならなかったが、今は1回1錠ですむものも納められるようになってきた。

(16時~16時50分まで自由懇談)

【参加者よりアナウンス】
・ 2001年から走り出し、5年ごとの障害者国体陸上競技に参加してきた。
ところが、今年から0.01以下と全盲とが同じクラスになり、
アイマスクをつけて走らねばいけないこととなって、8秒で走れたものが、
30秒以上かかるようになってしまった。
みなさん、ぜひこのクラス編成変更に反対するよう協会に電話をし
てほしい。

→東京都障害者スポーツ協会 03-5206-5586
・ 毎年、視覚障害者のスキーがある。今年もありますので、
皆さん良かったら参加してください。

次回開催は2020年5月頃を予定しています。


以上。

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